●最後のだっこ
  浅田志津子




  たたんだ千円札

いつも 東京に帰る朝
玄関まででいいと言っても
どうせ買い物があるから、と
母は駅までついてくる
もったいないからいいといっても
母は自分の入場券を買って
わざわざホームまでついてくる
列車にわたしが乗りこむ直前
ポケットからたたんだ千円札をだして
とちゅうでお弁当でも買って、と
わたしの手ににぎらせる
網棚に荷物を置いて椅子にすわり
窓のガラスごしに老いた母を見る
陽気に手をふる母を見ながら
早く 発車しないかな、と思う
列車が動きはじめたら
一度 ふりかえって母に手をふる
ふりかえるのは一度だけにする
どんどん小さくなってゆく母を
見るのは 一度だけにする

車窓から海が見えなくなると
読みかけの本を開く
読書に飽きて少し眠るときは
たたんだ千円札は栞に使う
飲み物をのせたワゴンがくると
わたしは財布から小銭をだして
お茶とサンドイッチを買う
母がくれた千円札は
本の間にはさんだままだ
夕暮れのアパートに帰りついたら
パソコン机の引出しの奥の
ビスケットの空き箱にしまう
たたんだ千円札でいっぱいの
あの 古びた木の箱に